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不破伴左衛門・名古屋山三・上林かつらぎ
香蝶楼国貞(三代目歌川豊国) 国立国会図書館所蔵
 芝居の一場面を描いた上の絵には、左から名古屋山三(さんざ)、不破(ふわ)伴左衛門、上林かつらぎとあります。服部幸雄先生の『江戸の芝居絵を読む』(1993)には「傾城葛城(かつらぎ)をめぐって、歌舞伎役者の名古屋山三郎と不破伴左衛門とが対立し、恋の鞘当(さやあて)を演じた物語は、元禄前後の江戸の市民の間で大変な人気があったものらしい」とあり、この物語は歌舞伎にも大きく影響して、数多くの「不破・名古屋の狂言」がつくられたとあります。
 専門家のご教示によると、上の絵の狂言は嘉永4年1月(1851)河原崎座で上演された「伊達競高評鞘当(だてくらべうわさのさやあて)」で、不破伴左衛門は五代目市川海老蔵、かつらぎは四代目尾上梅幸、名古屋山三は五代目沢村長十郎ということでした。
 廓の中での鞘当で、美しい模様ののれんの前には、豪華な台の物があり、刺身の大皿と煮物らしい深鉢が見えます。

 深鉢の向う側に立ててあるのは箸に見えます。塗箸か割箸かわかりませんが箸筒に立ててあるようです。
 箸は本来は白木
(しらき)でしたが、汚れが目立つことなどから、江戸時代になると一般に漆を塗った塗箸が使われるようになりました。現在、飲食店で使われている割れ目が入っていて、使う人が使用前に割る割箸は、江戸時代には引裂箸(ひきさきばし)と呼ばれ、文政(1818-30)頃から作られたようです。
 『守貞謾稿』(1853)の鰻飯のところに「必ず引裂箸を添ふる也。この箸文政以来ころより三都ともに始め用ふ」とあり、鰻飯以外の食べ物屋でもこれを使うが、名のある店は使わないとあります。台屋が運んでくる台の物に添えられた箸は塗箸でしょうか。
 監修・著 松下幸子千葉大学名誉教授
>>松下教授プロフィール
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